失われた後継者――高吉の生い立ち
織田信長の重臣、丹羽長秀の三男として生まれた藤堂高吉(幼名を仙丸という)。天正10年(1582)本能寺の変で信長死去の後、羽柴(豊臣)秀吉の所望により、弟羽柴秀長の養子となる(天下を望む秀吉が、柴田勝家を討ち滅ぼすため丹羽長秀と縁を結ぶためであったといわれる)。
天下を手中にした秀吉は、天正16年(1588)秀長の嗣子に甥の中納言秀保を立てたため、仙丸を家来に嫁がせようと考えていた。この時、秀長の家来であった高虎には、子どもがなく仙丸を養子に望み、秀長は同意しなかったが、秀吉の命により高虎の養子となる。
しかしその後高虎に実子の高次が生まれ、高次が家督を継ぐと、高虎の跡を継ぐべく養子となった高吉は、家臣の格を甘受することとなった。