藤堂高吉の物語を追え!名張歴史探訪クイズラリー メインビジュアル

名張の歴史を、歩いて知る。

名張には、豊臣秀長と深い縁を持つ藤堂高吉にまつわる場所や、城下町・宿場町としての歩みを伝える歴史が今も残されています。

このページでは、クイズラリーの7つのスポットに関係する歴史を紹介します。現地を訪れ、まちを歩きながら、名張に残る物語を探してみてください。

  

クイズラリーの参加方法

壱
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弐
クエストを選ぶ LINEの画面からクエストボタンを押し、「名張歴史探訪クイズラリー」に挑戦する。
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参
現地でクイズに回答 ミッションに設定された場所へ行き、現地でクイズに回答する。 ※位置情報(GPS)をオンにしてください。
現地でクイズに回答する画面
肆
御城印を受け取る クイズラリーをコンプリートしたら、名張駅西口の「なばり観光案内所」でスペシャル御城印を受け取る。 ※御城印はなくなり次第終了します。
なばり観光案内所で御城印を受け取る様子

名張の歴史を学ぶ

失われた後継者――高吉の生い立ち

織田信長の重臣、丹羽長秀の三男として生まれた藤堂高吉(幼名を仙丸という)。天正10年(1582)本能寺の変で信長死去の後、羽柴(豊臣)秀吉の所望により、弟羽柴秀長の養子となる(天下を望む秀吉が、柴田勝家を討ち滅ぼすため丹羽長秀と縁を結ぶためであったといわれる)。

天下を手中にした秀吉は、天正16年(1588)秀長の嗣子に甥の中納言秀保を立てたため、仙丸を家来に嫁がせようと考えていた。この時、秀長の家来であった高虎には、子どもがなく仙丸を養子に望み、秀長は同意しなかったが、秀吉の命により高虎の養子となる。

しかしその後高虎に実子の高次が生まれ、高次が家督を継ぐと、高虎の跡を継ぐべく養子となった高吉は、家臣の格を甘受することとなった。

神様になったお殿様――寿栄神社の由来

名張藤堂家初代、藤堂高吉が祭神。寛文10年(1670)7月18日高吉は、当地に歿し、同年8月15日その遺徳を敬慕し邸内に高吉を祀る一祠が建立された。社名は、高吉の法号「徳蓮院殿徳翁寿栄大居士」にちなみ壽榮神社であった。

降って明治11年一般の参拝が許可され、次いで大正10年村社となり、同13年藤堂家邸内社であった若宮八幡宮(祭神應神天皇)を合祀した。

昭和10年、名張小学校講堂建設に伴い現社地に移転。同時に旧藤堂邸正門を移築し神門とした。同門は石高に相応しい長屋門で、番屋の二階に太鼓が吊るされ、刻や非常時を知らせていたことから「太鼓門」と呼ばれた。

出典:三重県神社庁 教化委員会ほか

高吉が行ったまちづくり――城下町・名張の形成

高吉が名張の地を踏んだ当時、織田軍による伊賀攻めで焦土と化した「天正伊賀の乱」から50年近くが経っていたが、まだ復興には程遠い状況だった。

荒廃した新領地に立った高吉は、神社を再建し、市街地の区画を整理し、伊予国(現愛媛県)から連れてきた家臣や商人、付近から集まる町民の居住地を定めたほか、道路の改修、水利の開発など、今でいう都市計画を実施した。

まさに、名張の城下町・宿場町としての発展は、この高吉の経営から始まったと言える。城下川は、屋敷の外堀の機能を与えつつ、名張の水田のかんがい用水として整備された。高吉は、まちの区画整理とともに、この水路をまちじゅうに張り巡らせた。

出典:名張市公式Note「藤堂高吉と名張」

乱歩誕生と藤堂家――名張に残る藤堂家のつながり

江戸川乱歩の本名は平井太郎。平井家は武士の家柄で、祖先は伊豆伊東(静岡県)の郷士でした。のちに津(三重県)の藤堂家に仕え、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤めつづける。

乱歩の父・繁男も津に生まれ、名張町にあった名張郡役所(のちに名賀郡役所)の書記に就職、名張の新町に家を借り、母と妻と同居。明治27年(1894)10月21日には長男である平井太郎(のちの江戸川乱歩)が誕生した。

出典:名張市教育委員会事務局 文化生涯学習室

街道に残る町家の風情――初瀬街道とやなせ宿

旧細川邸は、江戸時代末期から明治初年に、薬商細川家(奈良県宇陀市大宇陀区)の支店として建てられた。

細川家は、「藤沢樟脳(しょうのう)」の製造販売を始めた「藤沢商店」(のちの藤沢薬品・2005年に山之内製薬と合併してアステラス製薬)の創始者・藤沢友吉の母方の実家である。

旧細川邸は、虫籠窓(むしこまど)や袖卯達(そでうだつ)、つし二階を備える典型的な町屋であり、大和長谷寺と伊勢神宮を結ぶ初瀬街道沿いに今も風情を残している。

出典:名張市都市整備部 都市計画室

宇流冨志禰神社と藤堂家――受け継がれる文化財

宇流冨志禰神社の主祭神は宇奈根命(うなねのみこと)。その他には、武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具士命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天兒屋根命、応仁天皇、仁徳天皇が祭られている。

神宝は、御神刀が三振と文化財として能面が四十五面(県文化財指定)上げられる。この能面は、名張藤堂家より譲り受けた物で、春祭りの際や、見学を事前に申し入れた際には、今でも見ることができる。

出典:宇流冨志禰神社

高吉の眠る地――徳蓮院と名張藤堂家

名張藤堂家始祖高吉公から13代高伸にわたる当主の墓所。名張藤堂家の菩提寺であり、一門の墓所となっている。

農民を救おうと神域に水路を開き自刃した高吉の家臣・福井文右衛門の遺徳を偲ぶ碑もある。

高吉が名張へ来る前は空き寺であった徳蓮院だが、名張藤堂家の菩提寺と定められて以来、歴代のお殿様のお墓を守り伝えている。

出典:名張市公式Note「藤堂高吉と名張」

藤堂高吉を知る、歴史の流れ

1582年・天正10年
本能寺の変。丹羽長秀の三男・仙丸(のちの高吉)は、秀吉の所望により羽柴秀長の養子となる。
1588年・天正16年
秀長の嗣子として甥の秀保が立てられ、高吉の立場が大きく変わる。
高虎の養子へ
藤堂高虎の養子となり、のちに高虎に実子・高次が生まれたことで、家督を継ぐ立場から家臣の格へ。
名張のまちづくり
神社の再建、市街地の区画整理、道路改修、水利の開発など、名張の城下町・宿場町の基礎を築く。
1670年・寛文10年
高吉、名張の地に歿す。その遺徳を敬慕し、邸内に祀る一祠が建立され、壽榮神社へとつながる。

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